「更級日記」 藤原定家
■鎌倉時代 ちょっと前は平安時代
中国では宋、元、源頼朝が鎌倉幕府(1185年頃-1333年)を開いた時代。
政権が公家から武家に移り、飛鳥時代に日本に伝わった仏教の浄土宗、真宗、日蓮宗などが興って武家と僧侶が権力を振るっていた。
今の感覚では考えられないが宗教が政治に非常に強い影響力を持っていた時代だ。
禅僧の来朝により、日本と中華両国の禅僧によって禅様が盛行し、その簡明高雅な書法は力強く、和様書道界に清風を注いだ。
この頃、今の書道や硬筆のような文字の美の追求一辺倒ではなく、情報技術の実用性を重視する、
つまり、庶民に徐々に文字=教育が普及していく条件となる、漢字かな交じり文が一般化されてきた時代である。
■和様の書法の乱立
和様の世尊寺流、世尊寺流から平安時代末期より藤原忠通によって分かれた法性寺流。
藤原俊成による俊成流、藤原定家による定家様などの書風が確立する。
特に法性寺流がこの時代に入り大流行した。
また、鎌倉時代以降の天皇家の書風を後世、宸翰様(しんかんよう)と呼んでいる。
宸翰様には伏見天皇による伏見院流、後円融天皇らによる勅筆流、後柏原天皇による後柏原院流などがある。
平安中期から室町時代まで、多様な和様が発生するのである。