王羲之の「楽毅論」の光明皇后による臨書
■中華文化の伝来
中国では中唐の時代。元明天皇が都を平城京に定めてからの時代。
遣唐使などにより中華の文化が伝わった。
書風は、六朝風の外に、晋唐の書風が書かれ、王羲之の書法が学ばれた。
※王羲之(おうぎし):知らない人はいない「書聖」と呼ばれ神格化。しかし、真筆は未発見。政治家、軍人として将軍職にまでなった人物。
特に聖武天皇の天平年間は奈良文化の最盛期であり、書道の発展が著しかった。
■律令制の「書道」
律令制の大学寮に書博士という役職が設置され、後に「書道」と呼ばれる学科が形成された。
これが最初の「書道」という説があるが、すぐに衰退したこともあり、現在の書道とつながりはないものと推定される。
※大学寮:律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関。遣唐使の廃止で中華文化への関心低下と律令制の弛緩、藤原氏摂関政治の確立による中下流貴族の没落などによって、大学寮の地位も徐々に低下することで衰退。